時間がたてばたつほ

食べ物は、時間がたてばたつほど、「おいしさ」を失っていきます。じつはこの「おいしさ」こそ「命」がそこに宿っている証拠なのです。つまり、賞味期限とは、食べ物に宿っている「命の期限」ともいえるのです。では、そのおいしさの正体、命の正体とは何なのでしょう。私は「エンザイム」ではないかと考えています。エンザイムそのものは生体ではありませんが、エンザイムは生命活動に不可欠な物質で、エンザイムのないところに「命」は存在しません。私たちは新鮮なものを食べると「おいしい」と感じますが、それは、食べ物の中にエンザイムが含まれているからだと思うのです。

 

たとえば、ステーキでも、中までしっかり火を通したものより、中はほんのりと温かい程度のレアのほうがおいしく感じるはずです。これは、レアのほうが熱に弱いエンザイムをより多く保持できているからです。果物も缶詰よリフレッシュなもののほうがおいしく感じるのは、そこに多くのエンザイムがあるからです。このように考えると、私たちが通常「食品」と認識しているもののなかには、エンザイムを含む「生きた食品」と、エンザイムをもたない「死んだ食品」があるということがわかります。そして、フレッシュなものほどエンザイムは多く、酸化の進んだものほどエンザイムは少なくなるのです。

 

しかし、現代の栄養学では、エンザイムの有無はまったく問題にされていません。エンザイムをもっているフレッシュなものでも、エンザイムが失われた腐りかけのものでも、「カロリー」は変化しないからです。私が、現代の栄養価とカロリー中心の栄養学に疑間を感じている最大の理由は、この「食べ物を命としてとらえていない傲慢なスタンス」あります。

 

ミラクル・エンザイム説は、現時点では仮説にすぎません。前著の反響のなかにも「科学的根拠に欠けるのでは」というご意見もありました。私は学者ではなく、あくまも臨床医なので、科学理論としては厳密に詰めきれていない面もあるでしょう。しかし、現代の栄養学と、私のエンザイム説と、どちらが正しいのかは、読者の方がご自分の体の声に耳を傾けていただければ、おわかりいただけると思っています。私たちは、農薬まみれの野菜よりも、有機栽培された野菜をおいしいと感じます。


このページの先頭へ戻る