ノアの洪水

神が人間に動物食を許したのは、トーラーではノアの洪水以後ということになっています(創世記/第九章三節)。なぜ動物食を許したのかというと、人間は植物食が理想であるが、実際には動物食をしてしまつている、どうせ食べるのならば安全な食べ方を指導しようということのようです。その証拠に、コーシヤ。フードでは植物食に対する制約は何もありません。コーシャ・フードに見られる規制は宗教上の問題といわれていますが、その内容を見ると、やはりここにも安全な食物を得るための先人の「知恵」がこめられていることがわかります。ユダヤ教が生まれた時代、イスラエルでは動物食の保存はかんたんなことではありませんでした。干物や塩漬けぐらいはあったでしょうが、気温が高いので魚介類も生肉もそのままではすぐに腐ってしまいます。とくに血は腐敗しやすいので、コーシャ・フードでは血抜きをきちんとしたものでなければ食べてはいけないとしたのでしょう。交通網が発達していない時代、保存方法が発達していない時代には、手に入る食品は限られます。山の中で新鮮な魚を食べることはできませんし、海沿いの潮風の強い砂地では野菜はあまり育ちません。寒冷地か、熱帯地域か、乾燥地か、あるいは気候によっても収穫できる野菜はまったく違います。さらに、手には入ったとしても、コンディションによってはいろいろな問題を抱えていることがあります。

 

 

そうしたさまざまな問題をクリアするために、人々が知恵を絞り、工夫を重ねたものが伝統食として受け継がれてきたのです。しかし、いまや交通網の発達により、どこにいても世界中の食品が季節も問わず手に入るようになりました。保存方法も発達したので、食品も長持ちするようになりました。しかし、何でも手に入るようになった代わりに、私たちは伝統食にこめられた「知恵」や「食べ物の大切さ」というとても大切なものを失ってしまったのではないでしょうか。現代人の多くは、おいしいから、食べたいから、安いから、という理由で食べ物を選んでしまっています。文明国ほど生活習慣病が多いのは、食を選ぶ基準が「安全」や「健康」ではなく、「欲」に傾いてきているからだと思います。食事は、体をつくり、生きるエネルギーを得るためのものです。もちろん食を楽しむことも大切ですが、そこに「体を思いやる心」がなければ、食は健康を損なう原因になってしまうのです。束洋には「医食同源」「身土不二」というすばらしい言葉があります。その意味を現代人はもう一度真摯に受けとめることが必要だと私は思います。


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